『滅私』羽田圭介 読みました。
ものを持たないで暮らす
ミニマリストの人が主人公のお話です。
最初は、ミニマリスト冴津の暮らしや思考の様子を
おもしろく感じて読んでいましたが
話がだんだん思いもよらない方向に進んでいく話でした。
冴津はミニマリストの暮らしを発信するメディアや
実際商品を作っています。
よく雑誌などにも掲載されているような
「ものに支配されない暮らし」
「震災などで物は流されたりするのをみて、物に価値を持たず経験を重視する」
「効率的な暮らし」
を提唱する人々とコミュニティがあり付き合っています。
本の中で、いきなり人からもらった自分の趣味に合わないものを捨てるシーンが衝撃的でした。
しかし、思考回路としては
どうせ捨てるものを手もとにおいておき、捨てる罪悪感がなくなったあとに捨てるのであれば
罪悪感を覚えながらすぐ捨ててしまった方が、くれた人や物のためにも良い。
行為は記憶に残るため、そのものが浮かばれるし無用に手に入れたりという同じ過ちを繰り返さないよう、気を付けるようになる。
食べられるものを捨てる時は
食べた後に、太らないために、後から運動などして時間を奪われるのと体内のミトコンドリアがカロリーを燃やすのと
ごみ焼却場でパンを燃やすのもどこで燃やすかに過ぎない。
だんだん冴津の過去を知っているものが現れて
そのもののことや過去を振り返ったり
彼女と一緒に過ごす中で
無駄のない生活に対して疑問を持つようになっていき
変わろうとしているのに…なラストが衝撃でした。
まさかそうなるとはという感じです。
本の中で、ものを持たない暮らしはもともと何のためにやっているのか?
ものを探す時間をなくす
効率的に生活を回す
その時間を作って何かをするためだったのに
ものをなくすことが目的になっている人=母親がいて
子供の作品も捨てたりと行き過ぎている人が描かれていて哀しい姿でした。
ミニマリストの思考として、理解できる納得できる面もあるのですが
その暮らしをはじめた本来の目的と意義。
手段が目的化しないようにするって大事だなと感じました。
また、その時間を作っても
じゃあ何がしたかったの?という風に
主人公も考えだしていました。
すっきりさせたくて捨てまくるのも
ため込むのも、両極端なところは結局安易な考えなのかなと思いました。
どちらの考えも表裏一体のようです。
片方に振り切る方が思考的には楽かもしれません。
この前たまたまふと読んだ本に
曖昧であることは大人ならではという風な言葉を読みました。
何事もバランスだったり
寛容さをもって曖昧にしておくこともありかなと。
たまたた仕事でもふとそんなことを考えることが最近あったので
この本の極端な思考の本について興味深く読みました。
極端な思考から極端な行動をとっていたからか
最後はなかなかな結末でした。
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